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ウジイユタカ

ユタカの部屋vol.93

小畑安寛さんです。今日はよろしくお願いします。

小畑さんは広島県出身ということを聞いているんですけども細かい出身地だとか広島に住んでいたときのエピソードとかあればお願いします。

広島県の福山市という港町で生まれ育ちました。広島県第2位の大きさの都市で、ここ村山市と同じく市の花がバラなんです。

小学校は緑ヶ丘小学校、中学校は私立銀河学院中学高校という中高一貫で、元々女子高だったのが共学なったときに初めて1期生として入学しました。高校卒業して1年間浪人し、駒澤大学経済学部に進みました。

大学では主にインカレサークルで活動してました。インカレサークルとは、旅行会社の企画を手伝うというサークルで、ちょっと表現は良くないかもしれませんが、ただ働きする代わりに現地で駐在して遊ぶという。夏や冬はほとんど海水浴場、スキー場に行ってました。そこから卒業して2年ほど就職して働きました。大学のときに関わりのあった旅行会社で働くことになりました。そこから同じ会社内で宿泊の方に進んで夏は静岡、冬は新潟、春と秋は東京に戻ってくるという生活をずっと続けておりました。

東京では何年くらい生活してましたか?

東京で8年か9年ぐらいですね。その後自分で独立してリゾートホテルを開業しまして、そのときに雪不足ですとか、スキー人口が減ったり、海水浴人口も減ったりして、ちょっと斜陽産業になりかけてたときに、今回この村山でビジネスホテルを建てるという話を、東京に地盤があったときに関わりのある旅行会社の社長と出会いまして、7年前に話をいただきました。

話をもらったときには即決でしたか?

当時結婚してたんですけども、その時離婚するという話にもなってたので。悩みの種がまた1個増えたというような感じでしたが仕事的にはぜひやりたいと思っていました。元々夏や冬のシーズンでしかできない宿泊業を通年でやるという形態に変えたいと思っていたので、その話はすごくマッチしました。

この山形県村山市に初めて来たのはいつですか。

2017年の1月です。雪が降り積もっておりまして、その時まだ何もない工事の、着工の前の段階で初めて村山に来ました。そこから3ヶ月後の4月下旬頃には村山に引っ越しましてホテル完成を一緒に見届けてきたというところです。

そのときの村山の印象はどんな感じでしたか。

元々東京の生活が半年、現地の生活が半年というスタイルだしでしたので、地方には比較的アレルギーはなくて、むしろ地方の方が住みやすくストレスフリーに生きていけるなと感じていたので、ほどよくものがあってほどよくお店があってほどよく自然が多いというこの環境は私としては最高の場所だなと思っておりました。

村山西口ホテルの支配人としてもう7年間お仕事されてるんですけども、ホテル運営の楽しいところと、ちょっと難しいというか、大変なところを教えてください。

宿泊業に共通するのは、やはり繁忙日とか繁忙期を過ぎて一段落ついたとき、ちょっと余裕があるなというのが、やりきった達成感をすごく味わえる。これは多分共通していることだと思います。それはあくまで清掃スタッフ厨房スタッフフロントスタッフ、全員が感じるところであって、支配人職として楽しいところといいますと、性格的なものもあるんですが、納入業者さんですとか外の方と打ち合わせをしたり、何か新しく仕事を作っていくとか、そういったところを支配人という立場でやらせていただけるのは非常に楽しいと思います。

難しいなと思う部分は、お客様満足度だけを考えてては宿泊の仕事はなかなかうまくいかず、従業員満足度とお客様満足度が重なって初めて売上が上がるというのが私の持論です。スタッフ同士の仲の良さ、悪さは必ずお客様に伝わります。そこがやはり満足してもらえるかしてもらえないかの境目なので、日々みんな仲良くしてくれるようなコミュニケーションのとり方をしたいなと考えております。

では続いて仕事からちょっと離れるんですけど、村山青年会議所、JCに入られて、今年理事長もされるということで、地域に対して何かボランティアをしたいなとか、地域の役に立ちたいななんていう、そういうきっかけとかお話いただければなと思います。

この村山西口ホテルで仕事をするようになって異業種交流会があるということで誘われて、JCのメンバーの皆さんでの飲み会みたいなところに混ぜていただきました。私自身何のつながりもないまま村山に来ましたので1人でも2人でも知ってもらえる方が増えていくというのはプラスでしかありませんでしたので、入会するのにそこまでの迷いはありませんでした。あくまで最初はその繋がりを作りたいとか、顔を知ってもらいたい、名前を知ってもらいたいというところでしたが、2021年に村山JC45周年の年に実行委員長を任されまして、そのとき初めて理事者として関わらせていただきました。そこからこの会の存在意義ですとか、JCの仕組みを知りまして。また同じ年に山形ブロックに副委員長として出向で行っておりまして、初めての理事者で初めての出向で。その年はすごく達成感を感じました。それが次の年へのやる気の引き金にもなりました。昨年は全ての委員会が一本化したんですが、その権限を与えていただいた立場でして、難しさも昨年は感じました。達成感と難しさを両方感じて今年理事長をやらせていただいてますが、理事長になって初めて自分の成長ですとかその地域に対してどういうことをJCがしてきたかというのが見えるようになりました。

理事長職をお預かりして本当によかったな、意義があるなと感じております。

入会の浅い私にも期待を向けていただけて、その期待に応えたいなというところでもありますし、私でしたらちょっと違った形が作れるんじゃないかなというところですかね。そういう1年を目指したいなと思いまして理事長に立候補いたしました。

こちらの方と結婚もされて、村山に根を下ろして地元のために、公私ともに働きたいなというふうな思いだと思うんですけど、村山市民としてこんなふうにしていきたいなというのがあれば教えてください。

はい。近々二世帯住宅を建てるんですけども、本当にプライベートの部分ではしっかり村山市に根ざせていけてるなと感じています。これもやはり移住して6年目で、環境に身を任せて拒否反応が出るようなストレスの多い環境ではないので、多分どこか流されても気持ち良い町なんだなと思います。最近移住の方もちょこちょこ増えていると聞きます。多分そういったストレスがないというのは、ちょっと表現は違うんですが、ここで全然いいよねというような感覚になる、ちょっと薬のようなところがあるのかなと思います。ただ人口減少とか社会問題はやはりたくさんありまして、最近ちょこちょこ言われてはいますが、産業を作るのが一つの町の復興になるというのを聞きました。村山市は工業団地もありますが、やはり一番は農業だと思います。こちらは果樹ですとか、いろいろ農作物が豊富なんですが、本当に人が集められるような産業ってなかなか立てづらいと現状だと思います。観光誘致、インバウンドも増えてきてますし国内の旅行もコロナから開けて動き始めておりますので、人を呼び寄せるという産業を強くすすめていけるのであれば非常に協力したいなと思っております。私としては仕事にも直結しますが、観光っていうところが一つ生き残る道なのかなと思っております。

観光という側面から見て村山市の魅力について何か感じているところがあれば教えてください。

メリット、デメリットたくさんあると思いますけど、山形県は訪問前の評価と訪問後の評価が著しくわかれる県です。訪問前はそこまで期待値が高くないんですけど、行って満足した県では必ず上位に上がってくるというところなんですね。県全体にも言えますし、特に村山市もそうなんですけど、PRの仕方によっては国内だけでなく国外の人も来やすくなります。近くには銀山温泉とか、蔵王温泉スキー場も1時間ぐらいで行けてしまう距離ですし、あと温泉大国であるのも強いとこなのかなと思いますね。デメリットとしては、お店が少ない、あとお店が開いている時間がわからない。これですとちょっと私達ホテル業としてはなかなか紹介しづらいところもありますね。少ないのはまあしょうがないとしても

やってるかどうかわからないというのはなかなか難しい点なのかなと思います。そういったところもやっぱり人が増えれば当然開けていただける時間も増えますので、まずは呼び込んで、需要があるんだよというところで進めていくのがセオリーかなと思います。

約3年間コロナ禍。今でもまだね完全に開け切ってはいないですが、人の流れは変わってきましたか。

まずホテル業に関しましてはコロナの大打撃を受けましたが、復活も比較的早かったです。出張の方たちもやはり工場ですとか製造業の方が多く、また現場関係の出張の方も多いので実際に人が動く流れの中にホテル業としては存在してたのかなと思います。ただやはり1階でやってますラーメン屋の方はコロナの影響を直撃しておりまして、現時点でも復活しきってるかというとなかなか判断は難しいです。宿泊に関しましては2月3月は過去最高の水準に来ておりますのでコロナの次のステージにはいるなというのは実感としてあります。

今年青年会議所の理事長として1年間活動するわけですが、まち作りというのは1年間で終わるわけはないので、今後小畠さんの人生の中でこんなふうにまち作りなり人と関わり合いながら、どんな活動していきたいですか?

青年会議所他ネットワークとか人脈というのは財産になりますので、これからも公私ともにお付き合いさせていただきたいなと。思っております。先ほども申し上げました産業をつくる、観光業を大きくしていくという点で、私は宿泊業者さんたちで団体を作りたいなと。作ってやはりもっと強い発言力をつけた方が県へのアピール、あと日本中へのアピールにもなるのかなと思っております。私としてはそれを第一段階として目指したいなと思います。

最後に自分の仕事として、この村山西口ホテルの紹介とPRをお願いします。

村山西口ホテルは今年で創業7年目になります。今現在規模拡大中でございますので、ぜひ一緒に働いていただけるスタッフさん、あとこれから外国の方も採用していきますし、外国の方の宿泊集客もどんどん強くしていきますので、市内で外国人の実習生さんを使って一緒に働いてらっしゃる方たちには、ぜひこの会社の名前だけでも覚えていただければなと思います。やはりそれぞれの会社ではやってらっしゃるとは思うんですけども、外国人の人たちと一緒に働くというのはある種協力体制がすごく必要になってきますので、ぜひ絡ませていただきたいと思います。

1階のラーメン屋も先日テレビ番組に出させていただきましたので、たくさんのお客様にご来店いただいてます。まだまだ空席ございますのでぜひご来店いただければと思います。これからも宿泊業、飲食業を通して村山市に集客するとか、地域に貢献していくというのが私達の仕事だと思っておりますので、潰れないように頑張りますので、ご応援お願いいたします。

はい、ありがとうございました。

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