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ウジイユタカ

【ユタカの部屋 第54回 須藤清美(すとうきよみ)氏】

【インタビュー】「歌は、私が生きてきた証。」

車椅子シンガー・須藤清美さんが今も歌い続ける理由


「今年で、歌を始めて50年なんです」

そう言って笑う須藤清美さん。

10歳のときに歌の世界へ足を踏み入れ、テレビのオーディション番組への出演、歌手としてのデビュー、ラジオリポーターとしての仕事。

結婚、出産を経て、その後、病気をきっかけに車椅子での生活となりました。

人生の景色は何度も変わりました。

けれど、そのそばにはいつも「歌」がありました。

還暦を迎える今、須藤さんは再びステージの上で、仲間たちと歌っています。

今回は、歌とともに歩んできた50年を振り返っていただきました。


理容店の大きな鏡が、最初のステージ

──歌を始めたきっかけを教えてください。

小さい頃から、とにかく歌うことが好きだったんです。

実家が理容店だったので、大きな鏡が二つあって。その鏡の前でよく歌っていました。

──鏡の前で?

そうそう(笑)。振り付けもして。

懐中電灯をマイクみたいに持ったりしてね。

美川憲一さんとか、桜田淳子さんとか。演歌調の歌も好きでした。


10歳。飛び入り参加したのど自慢が、人生を変えた

──本格的に歌を習うようになったきっかけは?

「地元のお祭りに、のど自慢大会があったんです。学校から帰ってきて、そのまま飛び入りで出ました」

当時はまだカラオケが一般的ではなく、生バンドで歌う時代。

そのステージを見ていたバンドマスターが、後日、須藤さんのもとを訪ねてきました。

──スカウトされたんですね。

「『歌を練習してみないか』と言われて。その方が、後に私の歌の師匠になりました」

それからは、天童駅近くにあった先生の家へ、毎日のように歌の練習に通います。

「父がね、お酒も飲まずに毎晩のように送迎してくれたんです」

須藤さんが何気なく口にしたその言葉が、とても印象に残りました。

歌う少女の後ろには、黙ってその夢を支えてくれる家族がいました。


中学1年生で、後楽園ホールへ

──その後、テレビのオーディション番組にも出演されたんですね。

「中学1年生のときです。『スターに挑戦』と『スター誕生!』の予選会が、ちょうど山形に来たんです。それで出たら、両方ともチャンピオンになって」

──両方ですか。

「ラッキーでしたね(笑)」

『スター誕生!』では決戦大会へ。

会場は後楽園ホールでした。

──そこでレコード会社やプロダクションから声がかかった?

「そうなんです。1週間くらい滞在してレッスンをして、そのときにスカウトしていただきました」

中学1年生。

プロ歌手への道が、目の前まで来ていました。

ところが、お父様が出した答えは「まだ早い」。

──お父様が止めたんですね。

「せめて高校までは地元で、ということで。レコード会社の方にもお願いして、プラカードを上げないでもらいました」

もし、あのとき別の選択をしていたら。

須藤さんの人生は大きく変わっていたかもしれません。
それでも歌をやめることはありませんでした。

『スターに挑戦』には中学1年生から高校2年生までの間に6回出演。
高校3年生ではNHKの歌番組でもチャンピオンを経験します。

歌は、いつの間にか「好きなこと」から、須藤さん自身の一部になっていました。


リポーターとして働きながら、歌手デビュー

高校卒業後は病院の事務職を経験し、その後20歳でラジオリポーターの世界へ。

約8年間、県内各地を飛び回りました。

そして昭和62年、大塚文雄さんと歌った「月山花笠ライン音頭」で歌手デビュー。

月山花笠Lライン音頭でデビューした頃(曲の発表会 寒河江市・鶴岡市)

歌と話す仕事。

ラジオリポーターとして県内外をラジオカーで走りまわりました

 

二つの「声」を使いながら、須藤さんは活動を続けていきます。

リポーター時代には花笠まつりにも参加

 

 

ところが、その後、人生を大きく変える出来事が訪れます。


出産後、突然変わった日常

結婚し、娘さんを出産。

その3ヶ月後、須藤さんに大きな転機が訪れます。

──車椅子で生活するようになったのは、その頃だったんですね。

「娘を出産したあとに脊髄腫瘍が見つかったんです。腫瘍を摘出したときに神経に傷がついて、それから車椅子で生活するようになりました。今年で30年です」

それまで当たり前だった生活が、大きく変わりました。

では、歌はどうしたのでしょう。

──歌うことをやめようとは思いませんでしたか?

「『座っていても歌えるだろう。しゃべれるだろう』って思ったんです。
家族、周りの友人や先輩方の推しもあって。『やってみようかな!』って。」周りの方々にめぐまれましたネ!!」

この言葉が、須藤さんらしさをよく表しているように感じます。

できなくなったことを数えるのではなく、今できることを見る。

司会や歌の仕事を少しずつ続けながら、子育てを中心とした生活へ。

人前で本格的に歌う機会は、次第に少なくなっていきました。

「ほとんど休業状態でしたね。家で好きで歌っているくらい」

それでも歌は、なくなりませんでした。


娘の成長とともに、もう一度ステージへ

転機が訪れたのは、娘さんが大学へ進学した頃。

少しずつ自分の時間が持てるようになり、かつて一緒に活動していたバンド仲間たちと再び音楽活動を始めました。

本格的な復帰は約12年前。実は主人の強い押しもあって……汗

その後、コロナ禍でバンドは解散しますが、新しい出会いがあり、現在はプロのミュージシャンたちとステージに立っています。


「このチャンスを、生かさないわけにはいかない」

──近年、以前にも増して積極的に活動されているように見えます。

「そうですね。今までやってきた自分の証というか……『私が生きてきた証』だと思うんです」

少し考えながら、須藤さんは続けます。

「だから、やれるだけやって、楽しみたいなって」

──須藤さんにとって、“自分=歌”という感覚なのでしょうか。

「そうですね。それがあったから、障害を持ったときも乗り越えられたと思います」

ただ、須藤さんが何度も口にしたのは「歌」だけではありませんでした。

「友人だったり、人とのつながりだったり。それがあって『頑張ろう』と思えたから、今があるんです。一人では無理でした」

今、一緒にステージに立ってくれる仲間がいる。

歌を聴いてくれる人がいる。

「だから、このチャンスを生かさないわけにはいかないじゃないですか」

そう言って笑う姿からは、悲壮感よりも、今を楽しもうとするエネルギーが伝わってきます。


「私で役に立つなら、やりますよ」

現在はライブやイベントだけでなく、チャリティーコンサートなどにも取り組んでいます。

今後も、さまざまな場所で歌ってみたいと話します。

──これから挑戦してみたいことはありますか?

「歌える時間には限りがあると思うので。だから今は、いろんなところに挑戦してみたいですね」

──須藤さんが人前で歌うことで、同じように障害のある方が勇気をもらうこともあると思います。

「そうですね。それはあります」

そして、こんな言葉が続きました。

「障害のある方だったり、内向的になっている方だったり。私が歌っていることで、何か勇気づけられるんだったらいいなって思います」

少し照れたように、

「私で役に立つんだったら、やりますよ」

と笑いました。

大げさな使命感ではありません。

まず自分が歌いたい。

歌うことを楽しみたい。

その姿が結果として誰かの背中を押すのなら、それも嬉しい。

そんな自然な距離感も、須藤さんらしいと感じます。


昭和歌謡にある「人の心」

須藤さんが大切に歌い続けている昭和歌謡。

その魅力について聞いてみました。

──若い世代に伝えたい、昭和歌謡の魅力は?

「歌詞とかメロディーもそうなんですけど、人情というか……人の心を揺さぶるものがあると思うんです」

今の音楽を否定するわけではありません。

「アップテンポでリズミカルな今の曲も、それはそれでいいと思います。でも、昭和歌謡の歌詞やメロディーって、私は本当に泣けるんですよ」

そして音楽と人生について、こんなふうに話してくれました。

「自分が経験してきたことが歌に生かされたり、逆に歌が自分の生き方に影響したり。そういうことってあると思います」

歌を歌ってきたから、人生が変わった。

人生を歩いてきたから、同じ歌でも昔とは違うように歌える。

50年という時間は、須藤さんの声の中にも積み重なっています。


編集後記「歌は人生とともに」

10歳の少女が、理容店の鏡の前で懐中電灯を握って歌っていた。

あれから50年。

テレビのオーディション番組、歌手としての活動、ラジオリポーター、結婚、出産。

そして、突然始まった車椅子での生活。

人生には、自分では選ぶことのできない出来事もあります。
それでも須藤清美さんの人生から、歌がなくなることはありませんでした。

今回撮影した写真の中に、須藤さんが胸に手を当てながら歌っている一枚があります。
そして別の一枚では、仲間と一緒に、子どものような笑顔でステージを楽しんでいます。

復帰後、アー写撮影のカメラマンとしてボクがレンズ越しに見てきた明るい表情。

その表情を見ていると、インタビューの中で話してくれた、

「歌は、私が生きてきた証」

という言葉が重なります。

車椅子だから歌うのではありません。

誰かを励ますためだけに歌っているのでもありません。

須藤さんは、歌うことが好きだから歌う。

その歌を聴き、その姿を見る誰かが、自然と元気をもらう。
それでいいのだと思います。

60歳。

歌を始めて50年。

須藤清美さんの歌は、まだまだ続きます。


 

須藤清美さんの歌声は、YouTube「キーチャンネル」でも聴くことができます。ぜひ、実際の歌声もお楽しみください。

▶︎ YouTube「キーチャンネル」
https://youtube.com/channel/UCqIlGPS0d-74_JXDgwQ29Eg?si=juLT2sNLasefc2kI

 

須藤さんの今後の活動予定です!

2026年

9月13日(日)
14時15分〜14時45分
仙台市定禅寺通りJAZZフェスティバル
場所 つなぎ横丁
(入場無料)

 

10月23日(金)
天童市老人クラブ連合会
会員芸能発表会
ゲスト出演(予定)
お問い合わせ
天童市老人クラブ連合会様

 

11月28日(土)14時〜
東根市 壽屋『野守の宿』
須藤清美ぬもりカフェ
チャリティーコンサート
入場料 3,000円
(お茶、漬物付)
お問い合わせ
壽屋さん
0237-42-0173or
須藤 090-3129-5969

 

2027年

1月後半(土)夕方〜
天童市市民プラザ パルテ
新春コンサート(仮)
問い合わせ
天童市市民プラザさん

 

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