ユタカの部屋vol.83 kiyo氏
ウジイ(以下 ウ):まずkiyoさんのことを知らない方のために自己紹介をしていただくというのと、あと「山形を熱くしようプロジェクト」を主催されてるというか、それのもとで何か活動されてること、それを中心にこのお店のこととかも含めてお話いただければと思います。
kiyo(以下 キ):はい結構自己紹介が難しいんですけど、その「山形を熱くしようプロジェクト」という、エンターテイメントを通して山形を元気にしよう、盛り上げようという、チームというかもう今は企業っぽいことになってるんですけど、その代表をしておりますkiyo(キヨ)といいます。
あとは今天童で、エンターテイメントを発信できる食堂を作りたいなと思って「トマチキ食堂」というお店もやらせていただいております。
ウ:出身は山形なんですか。
キ:はい、山形です。寒河江出身ですね。
ウ:もし構わなければ今までの経歴を教えていただければと思います。
キ:高校までは山形県内で普通に過ごさせていただいて、仕事で最初調理師として上京しまして、2年間ぐらい調理師の仕事をさせていただいて、その中で趣味で音楽活動もしておりました。音楽活動の方にファンの人達もちょっと増えてきまして、1回本気で音楽活動をやってみようかなと思い、20歳のとき仕事辞めてアルバイトをしながら音楽活動するようになりました。相方を見つけて2人組のアコースティックデュオで音楽活動を始めて、ありがたいことにテレビ朝日の番組とかUSENとか、新聞にも取り上げていただいたり、ちょっと頑張ったんですけど、なかなかヒットまではいかず…。24歳ぐらいの時に相方と話し合ってユニット解散して、その後すぐ音楽活動という夢を1回終止符を打ちました。まだ諦めきれてない僕もいたんですけど、相方と2人組でやってたので。一旦1人になったことでちょっと活動が縮小して、そこから何か生計を立てなきゃいけないということでまた飲食の世界に戻ってきました。
ありがたいことに焼肉屋さんでもアルバイトを始めて1年ぐらいで店長職を任されまして、最終的に3店舗任せていただきました。従業員スタッフも50名ぐらい一緒に働かせていただいて、80席ぐらいの店を3店舗だったので結構大きくやらせていただいてたんですけど、4店舗をやるかどうかっていう話がオーナーさんから来たときに、4店舗もやるとまた結構忙しくなるし、山形に帰るのもまたしばらく先になりそうだなみたいなことを考えたんです。
両親に相談して、山形に戻るか東京に残ってお店を大きくしていくか悩んでいるというか、むしろ東京で結構収益もあったので、「両親も一緒に東京来ちゃって住めば」みたいな話をしたんですけど、まだおばあちゃんおじいちゃんもいたので
「どうせならお前、東京なんか既に盛り上がってるんだから、山形帰ってきて山形に貢献できるようなことをやってみたらいいんじゃないか?」
って言われました。東京で培ってきたそのノウハウだったり何か東京で僕はその焼き肉屋3軒やりながら、バスケットボールのクラブチームとかフットサルのチームとかも運営して500名ぐらい在籍してました。フットサルでも深夜12時から2時という練習時間にも関わらず60名ぐらいメンバーがいて結構もう本当にありがたいこと人に囲まれて活動してたので。そういう何か「盛り上げる力」というか、そういうエネルギーを山形で生かしたらどうだって言われて。なんとなくそんな風に母から言われた言葉がすっと入ってきて、じゃあ帰ろうかなと思いまして。もちろん、結構手広くやってたので引き継ぎに1年半ぐらいかかっちゃうんですけど。 30歳になる年に山形に帰ってきて、最初は別にプロジェクトをやろうっていうはっきりとしたビジョンがあったわけじゃなく、ただ山形を盛り上げたいなと思っていたので、 でも何か僕ならではの「ワード」が欲しいなと思ってました。
ネット検索の時代が始まってもう9年か10年前ぐらいですけど、YouTubeとかもそこまで盛り上がってないときでしたけど、お問い合わせはWebでこちらまでみたいな。
「山形を元気にしよう」と調べたら、すごいたくさんの会社さんが出てきたんですけど、「山形を熱くしよう」とワードを打ってみたら1件も出てこなかったんで、今から僕がこれをずっと発信していけば山形を熱くしようイコール僕になるのかなと思って。
帰ってくる半年ぐらい前から「山形は美しいよ」ってワードを打ち出しながら活動していこうというのを決めて帰ってきましたね。
最初は小さな実家のレストランを手伝っていたんですが、やっぱどうしても両親がだいぶ年を取ってきて、どうしてもお客さんもその近い年代のお客さんが中心となっていたので、これだとどうしてもお客さんは少なくなっていくなと思って、それを若いお客様呼び込むためにどうしたらいいかなっていうのを考えてました。
月1ぐらいで35歳以下ビュッフェパーティーみたいなのを企画してみたり、あと店の駐車場を使って芋煮会とかバーベキュー会とかね。11年ぐらい東京に行ってたので、あんまりもう連絡を取り合ってた地元の友人は本当にいなかったんですけど、1人2人ぐらいから連絡を取り合うようにして、そこから後はSNSの時代なので、そういうFacebookだとかを使って「こういうことをやりたいって」いうか「芋煮会やりたい」とか発信したら50名とか60名とか参加してくれました。そこからカップルが誕生したり、結婚する人が誕生したりするのもまた何か素敵なことかなって思いながら、 活動してました。ただやっぱり芋煮会バーベキュー、運動会とかゴミ拾いとかもしたんですけど、もっと人の役に立てることはないのかなって思って、震災復興支援のチャリティイベント開催し始めました。
震災の復興支援チャリティイベントを最上川ふるさと総合公園という会場を使わせていただいたんです。1年目とかは、当然僕のことなんか誰も知らないので、来場数も30名ぐらいだったんですけど、3年目ぐらいに800名ぐらいの動員というか、ご来場をいただいたことをきっかけに、寒河江市から「つつじ祭をプロデュースしてみないか」みたいな提案をいただきました。そこから今も継続させていただいてるんですけどね。それをやったことで、今度は違う町とか違う企業様から、あと道の駅さんとか、ウチで何かイベントやってみないかみたいな話になって、徐々に「山形を熱くしよう」ってただ言ってたことがプロジェクトに変わっていったんですね。
誰かが「山形を熱くしよう」っていう活動はプロジェクトだね言ってくださったんですよね。そのとき僕も、プロジェクトっていいなと思って、「山形を熱くしようプロジェクト」っていうタイトルに変えて今年で9年目を迎えさせていただいてます。
ウ:今聞いたいろんなプロジェクトやイベントのお話は、kiyoさん個人でやってるんですか、それとも法人を設立して進めてるんですか
キ:いえ、まだ法人化はしてなくて個人事業主でやらせていただいてます。もちろんいつかは法人化できたらいいなと思ってるんですけど、まだまだ全然イベントだけで収益があるかっていうと、全然そこまでじゃないです。特に今コロナ禍でイベントもなくなって。
ただやっぱりイベントは週末に限るので、特に山形とか地方はお客さんが集まる日って土日、むしろ土曜もちょっと弱いぐらいで日曜日に限られちゃうんです。月に4回5回の日曜日だけで収益を上げていかなきゃいけないとなると苦しいなと思って、コロナなる前だったので、平日の雇用を埋めるということで、食堂とかをやれば何とかなるかなと。僕は調理師の免許もありますし、東京でちゃんと料理の勉強もしてきたのでね。東京だとよく芸人さんの若手がバイトしながらでもステージのときは休ませてもらってステージに行くみたいな形、山形のエンタメでもそういうスタイルを作れないかなと思って。
山形も歌ってる人とかパフォーマーとかいろいろいるけど、それ1本でちゃんと収益あげられるっていうのは、なかなかまだ苦しい状況なのがわかっていたので、僕自身もありがたいことにシンガーソングライターの活動も山形で始めて、2014年ぐらいにはそれだけで食べるようになったんですけど。でもそういう方はなかなか周りにいなかったんですよね。たまたま僕は恵まれててその「山形を熱くしよう」というワードが当たって、「山形を熱くする男シンガーソングライターkiyo」みたいなのを、いろんな方が打ち出しやすかったと思います。キャッチコピーとして。
僕より音楽の上手い方、歌の上手い方はたくさんいらっしゃったんですけど、たまたま山形っていう土地に僕の打ち出したキャッチコピーがハマって取り上げていただいて、今何か後輩たちもそうだし、そういう人たちがもっと活動しやすい土壌を作れないかなと思って、それが山形を熱くしようプロジェクトだし、この飲食店で平日働きながら、まだちっちゃい25席ぐらいしかないお店なんですけど、これをいつか展開できてエンタメやりたいやつらが、自分の好きなシフトで店に入って、本番とか練習のときはエンタメに専念するみたいな形ができたら、そんな素晴らしいことないんじゃないかなと。やっぱり夢を追うものがみんな都会に出ちゃうんで。
「山形でも夢を追える環境って作っていけないのかなっていうのもあって始めました。」
ウ:素晴らしいですね。
キ:またコロナが来ちゃったんで。本当に苦しい状況になってます。逆に何かお荷物を背負っちゃってる状態なんですけど…やっぱ箱物を持つってことはね、維持費とかすごいお金かかっちゃうんで。でもなんか理想としては何か司会者も演者もお客さんもマルシェの出店者とかもみんながwinになれるイベントっていうか、なんか山形を熱くしようプロジェクト自体が昔でいう移動サーカスみたいな状態になっていけなればなと。まだまだ小さいプロジェクトなんで専属のカメラマンさんがいるとかじゃないんですけど、すべてウチに頼んだら丸ごと移動してってその街を楽しませられる、みたいなコンテンツになっていかないかな〜なんて考えてます。もちろん僕に頼まれても、まだ僕ではできないところは外注になるんですけど、いずれちゃんとそれが、テレビとかオーディオがシステマチックになってるように同じメーカーのであれば全部いけるみたいね、イベントがそういうふうになっていったら最高なんじゃないかなと思ってます。もちろん他のイベントの企業さんたちとも連携とりながらやっていきたいです。別にうちだけがメインになるんじゃなくて、もちろんライバル関係ってあると思うんですけどね。別に僕は仕事をとりたいっていうよりは、数を増やせば取り合う必要ないんじゃないかなと思ってるんで、何かそういうスタンスを作っていけないかなっていう理想はあります。
ウ:やっとイベントとお店と繋がりました。
キ:ありがとうございます。そうなんです。千原せいじさんとかがやられてますよね。若手芸人さんが働いてて、ステージがあるときはがんばって来いみたいな、ああいう状況を作れないかなと。どうしてもイベントをやるとなると演者だけじゃなくスタッフもいるので、当日大きいイベントだったら、もう20人30人って必要になってくるじゃないすか。その子たちが日当だけで集めるスタッフより、少しでもやっぱ密接な方が僕のアイディアとか思いがちゃんと行き届くし、どうしてもイベント当日の学生アルバイトとかだとそこに思いを持って活動するとかないですよね。日当で働いてるだけですよね。ディズニーランドじゃないですけど、働いてる全員がちゃんとここで多くの人を感動させようって思いを持ちながら、掃除したり、車誘導したりできたら最高なのかなと思ってます。夢物語みたいな話なんですけど、でも何か山形にそういうディズニーランドみたいな場所というかイベントを作っていけたらなって思います。ディズニーランドは掃除してる人だってプライド持ってやられてますから。エンターテイメントの最高峰だと思ってるので。そういうふうな場所をつくっていけないのかななんて描いています。
ウ:コロナ前でもいいですし、今のコロナ禍の中でもいいです。こんなイベントを手がけましたっていう具体的な事例があれば教えてください。
キ:さっきも話したように、最初は寒河江のつつじ祭りを担当させてもらったことが始まりなんですけど、例えば、尾花沢のウインタージャムという雪のお祭り。
タイトルも僕が決めさせていただいたんですけど、尾花沢市さんからお声がけいただいて。あとは戸沢村高麗館さんで行いました。ももかみランドっていうサブタイトルで。これが大変失礼なんですけども、築年数もたってだいぶ経っていて傷んできてる部分もあったんですけど、逆にそれがジブリの世界観みたいな、千と千尋の世界観みたいな要素を僕が感じて、そのちょっと不気味なのを売りにしちゃうみたいな提案をしました。お化け屋敷にしてみたり、そこで逃走中みたいなスーパーリアルかくれんぼって感じで逃走中の危険な部分を取り除いたような。走り回らず、隠れる時間をたっぷり用意して、子供たちが隠れてるのを見つけていくとか、ハンターみたいな感じの人たちが見つける役をやったりですね。年間25本ぐらい作らせていただいてたんですよコロナ前は。コロナが始まってからはもう本当にゼロに近かったので、逆にコロナが始まってからは、その行政からの依頼がもうゼロになったので、でもやっぱアスリートもそうなんですけど、練習してなかったり試合に出てなかったらその勘が鈍りますよね。カメラマンさんもそうじゃないですか。もし1年間写真撮らないで、その後撮ってって言われたら、同じ1年前と同じ感覚で撮れますかね。
たった1年と思うかもしれないけど1年のブランクってかなり結構きついです。僕もそれをイベント屋として感じてうちのスタッフたちもイベントの回し方忘れていくんじゃないかと思って。じゃあもうマイナスにさえならなければいいやって思ってマルシェを作り始めたんですね。それまでは行政さんから50万とか100万でイベント作ってほしいっていう依頼を受けて、その財布にお金が入った状態で、そっからお金を使っていろいろ作ってたんですけど、そうじゃなくて、マルシェの場合は、出店者さんがやっぱ売りたいものがあるわけで、それを売るために、場所代とか家賃みたいな3000円とかなんですけど、払ってくださるんです。それを40店舗集めれば、12万円になるなって計算で。じゃあ僕がしないけないのは出店者さんたちが出たいイベントにしなきゃいけないんです。出たいタイトル出たいデザインで、出たい内容にしなきゃいけないって思ってます。マルシェのタイトル決めみたいなのを今まで以上に悩んで作ります。ハンドメイドの作家さんたちの多くが主婦の方だったり、女性の方が多いので、やっぱ女性に受けるタイトルとかデザインにコンセプトにしていかなきゃとか考えながらマルシェ作りして、12万円の予算でスタッフの足代ぐらいは出て、みたいな。ここのスタッフと当日だけのスタッフもいるんでね。ギャランティは変わりますけど、僕がプラスにならなくても、みんながイベントをやる力を失っていかない状況を作らなきゃいけないと思ってます。始めたらありがたいことにもう、多くの出展者さんに感謝していただけました。やっぱりそういう機会がなかったので。多分コロナ禍でマルシェを一番作ったのは僕なんじゃないかなと思ってます。あの状況でも年間4本ぐらいとか。
1回目作ったときは冬だったので来場者数は800名ぐらいかな。春夏はできなくて、コロナが始まってしまったんで。昨年秋、10月11月に作らせてもらったのに関しては、チラシ1枚も出すことなく、10月は来場者1000名と、11月には1200名。やっぱコロナ禍なので来場者の記名もしてるので、はっきり人数がわかるんです。
もうチラシ出さなくても来場者数って獲得できる時代なのかっていうのも気づかされて、SNSとかで。僕はInstagramを一番メインに発信してます。なぜかというとマルシェに興味があるような人って、ちょっとおしゃれなコンテンツが好きなので、Twitter、Facebook、Instagram一番おしゃれなのはどれかなって考えたときにInstagramなのかなと。Twitterは拡散力が素晴らしいですし、Facebookは何か地元力が素晴らしいなと思ってて、マルシェに一番合ったSNSってInstagramなのかなと思って、そこに力を注ぐようにしてます。
ありがたいことにフォロワーさんはコロナ禍で逆に増えて、その中の4割ぐらいの方が作家さんなんですよ、出店場所を求めてる作家さん。
今フォロワー1200人くらいいるんですけど、その中の3分の1ぐらいが、作家として活動していたり、いつか出店したいなと思ってる方なので、そこに募集を出すだけで、ありがたいことに応募をたくさん寄せていただけまして。最近だと、何月何日何時何分にこのマルシェの募集開始しますって言うと、00分に30から40店舗ぐらい応募が来ちゃうぐらいです。何人かの作家さんに「スッゴイ来たんだけど、結構細かい連絡事項とかもあるしどうなってるの?」って聞いたら、。もう事前に作ってあって、コピペして待ってるんです、とからしいです。なんか人気アイドルのチケットを取る状態になってくれたんだなと思って、なおのこと僕はそれが励みになって。
もっと出展者さんがメインになるような、やっぱ出品者さんがWinなのは、売れるってことですよね。売れるイコールまず来場者数を増やすってことですよね。もちろんコロナ対策は徹底しながらなんですけど、今現状、演者さんたちはコロナ禍なんで本当に交通費に毛が生えたぐらいの金額で、当然総予算が12万円とかなんで。でも演者さんたちも、僕はもう前からイベントを企画やっていて、ちゃんとね、ギャラを払ってるイベントもやってきてたので付き合いがあって繋がりがあったので、「この状況はもうその本番感を失わないイベントがあるだけでもありがたい」っていうふうに、言ってくれたりします。僕もその単発で頼んでるわけじゃなくて、僕も元演者側なので、演者さん達が上になるように考えながら依頼はしてるんですけどね。
そういうの作って僕の次の構想は、来場者数が大人の人数で2000名を超えたときに、入場料200円取りたいなと思ってます。なんでかって言ったら、みんなが楽しめてるのはやっぱり演者がいたり、スタッフが裏で頑張ってくれてるからなんだっていうのもわかって欲しいからなんです。今までのイベントで、お客さんに何でこんなに楽しいかわかりますかってきちんと言ったイベントってなかったと思うんです。でももうこれだけSNSが発達してクリアな時代で、これぐらいお金かかっているんですとか、演者はこんなに普段の練習頑張って当日迎えてるのに、まだ交通費ぐらいでやってくれてるんだよ、とか逆にそこをオープンにしていきたいんです。何かオープンなクラウドファンディング的な感じですよね。それでも来たいっていう皆さんにぜひ来場していただきたい。大人だけ200円だけ払ってもらえないですかね。200円でテーマパークが楽しめると思ったら、そんなのもいいのかなと思ってます。2000名×200円を目指して、そうすると40万円予算でできるようになるんです。
何かコロナ禍でやっぱ苦しかったのは、やっぱ仕事の依頼が減ったってことなので、もう依頼をもらわずして、仕事を成り立たせる、依頼をもらわずして、演者の発表場所がある、みたいな。依頼をもらわずして出店者さんたちが売れる場所がありますよと。それをやっぱ山形県内何だかんだ大きい都市、3万人以上としても六、七ぐらいあるじゃないですか、そこを回るだけでも年2回ずつ回ったら、1年間も回れるわけだし、なんかそういうなんか勝手な構想なんですけど、そしたらみんな何にも困らず、山形を熱くしようプロジェクトっていうのがあるだけで、みんなが一応最低限のその月の収入みたいなのを確保していけるのかな。それがもっとね、東北他の県に行ったり、もう山形県物産市のエンタメバージョンみたいなのができたら、コロナ明けて他の県から呼ばれたり、山形のいいものは全部山形を熱くしようプロジェクトさんを呼んだらもってきてくれるみたいなね。演者もお土産コーナーとかも。そうなったらもちろん、いろんな山形県のお土産屋さんとかに相談しますし、そういうふうになっていったらいいなって。
僕はまだ誰にもそんな話してないですけどね。構想だけは大きく持ってるんですけど、でもそんな遠い将来じゃなく実現したいですよね。
僕はその出展料200円をもらうのは、来年再来年ぐらいかなと思って。今まで1000人1200人の来場者がいるんですけど、ただ1000人を超えるイベントやるってなったとき駐車場とかの問題で、結構大きい会場じゃないとできないっていうとこにつきぶち当たっていって、山形県内でNDソフトスタジアムさんが駐車場も一番大きいかなと思ってるんですが、ふるさと公園は2番目ぐらいにあると思ってます。ただ第二駐車場とか設けると今度はシャトルバス出さなきゃいけないなって、そこにまたお金かかりますしね。
そうなってきたときに、歩いても5分くらいで第2駐車場から来れると思うんすけど、まだ5分歩いてもらうだけのコンテンツじゃないと思って、自分のイベントが。
まだ近くに止められる人しか楽しめないかなという点、そのパワーバランスを見ながら拡大していきたいなと思うんで、なんかそれを面白いと思ってくれる企業とかがいたらいいなと思ってます。ディズニーランドって1個1個のアトラクションに明治安田生命さんとか、コカコーラさんとかサポート企業ありますよね。ああいう状態にしていけたら理想だなと思うんですよ。このステージは例えば加藤物産サポートのステージです。この子供を楽しませるブースは、げんキッズサポーターのイベントです、そんなことも不可能じゃないのかなと少しだけ思ってます。ここで無料で写真撮ってくれてます、これはサポーテッドウジイさんみたいな。まだわかんないすけど(笑)
でも自分にもプラスになって、ちゃんと何千人という人に直でPRできて、そういう流れを何か作れないのかなと思ってます。僕が1人で全部取ろうっていうんじゃなくて、僕はもう取り分は今と変わらなくてもいいんです、一生続けていけるなら。当然利益が上がった方が、また投資ができて準備もできて大きいイベントができるっていうか、未来に投資できるんでそれに越したことはないんですけど、その利益と人を幸せにするっていうところのバランスを見失わないようにしながらやっていかなきゃなっていうのも課題だと思ってます。当然利益も必要ですよね。人幸せにするためにはそうなんです。僕もお人好しなところがあるので、まあいいですよって言っちゃうタイプなんですけど、そこでもやっぱり人を雇用したりとか、継続させたいとかあると、最近いろんな人がもっと利益取りなさいっていうようになってくれて。
山形の土地柄ってエンターテイメントとかにまだまだお金使わない県じゃないですか。どっか自分がしてることって遊びと見られてるのかなっていうのは、やっぱり帰ってきて3年ぐらいシンガーソングライターで活動したいんだって言ってるとみんな「いいよな。お前遊んでて」みたいな散々言われたんで。やっぱそれでちゃんと食えるようになったときにみんなは「応援してたんだ俺も」って言い出すんですよね手のひら返してくるやつですね。それに対してこう、イラッとせずに、やっぱ土壌がないんだから知らないですもん。
映画館もこんなに映画って素晴らしいのに映画館も正直、本当にヒット作が来たときぐらいしか集客ないし、もっと映画館って客席埋まってていいし、もっとリナワールドってお客さん入っていいし、なんかエンタメの活性化って各エンタメのリーダーたちみたいなのが集まって映画館のリーダー、リナワールドのリーダーとか道の駅のリーダーとか。なんか山形のエンタメどうやって一緒に良くするみたいな、円卓会議みたいなのが開かれないのかなって。みんな自分たちだけで頑張りすぎなのかなって思います。やっぱ連動性って絶対重要だなって。
それ、死ぬまでにできるかわかんないすけど、何かできるようになったら最高だななんていう夢ばっかりは思ってます。まだまだちっちゃいけどね。
でも最初30人だったイベントが、9年かけて1000人越えるイベントに育てて、もちろん行政さんから依頼もらうつつじ祭りとかも3000から5000人になるし、ウインタージャムなんかは2日間で2万人とかね、ちょっとその時は有名人、椿鬼奴さんとかに声掛けさせていただいて呼ばせていただいたりしたのでもちろん僕の力じゃなくて、みんな演者もそうだし、有名人もそうだし、スタッフのみんなの力でやってることなので、あくまで僕はその提案っていうか、なんか山形を熱くしようっていう言い始めた以上、気持ちだけでみんなに号令かけられる立場になっていけないかなと思ってます。実際僕には特殊能力は本当にない。やっぱいろいろやってみて、歌上手いなとか、演奏前上手いなとか、この作品素晴らしいなとか、やっぱ山形で作品は豊富じゃないですか。食べ物も作品だしね。その人たちと肩を並べるにはどうしたらいいのかな。一緒に山形をね、変えていくには、僕は何をさせてもらえたら混ぜてもらえるのかなって思ったときにね。「情熱とアイディア」そこだけかなと思って、僕自身は能力ないので、ただみんなの能力の繋ぎ役というか、あとはビジョンみたいなのを皆と共有できる、なかなかコミュニケーション不足なところもあると思うんですよね山形って。そういう立場になっていけたらななんて思ってます。はい。
ウ:ありがとうございます。次の号が出るのが7月末から8月の頭なんで、この秋に具体的になってるイベントとか何かそういう活動予定はありますか。
キ:9月の25日、26日で「蔵王宿マルシェ」っていう蔵王の旅館を1軒丸ごと貸し切って土日でマルシェするっていうイベント。これは僕だけの企画じゃなくて、数名の仲間が加わって四つぐらいの代表者がいて、一緒に企画するものです。そのマルシェ部門の一応総括みたいなの、僕がさせていただくっていう感じです。他にも何か展示があったり、宿泊があったり、蔵王を盛り上げられる企画になればなというところで、今動いてるのが9月25日26日の「蔵王やどマルシェ」です。松金屋アネックスさんっていう、温泉協会の中のじゅっきーというキャラクターをプロデュースされてる方がやってらっしゃる宿で、そこで宿を使ったマルシェっていうか、エンターテイメントを作りたいなって今考えています。
あと、10月に場所はまだ決まってないけど酒田米菓さんと一緒にイベントを計画しています。モルックっていう競技にすごい力を入れてらっしゃって、木の棒を投げて点数を競う競技なんですけど、それのちっちゃい大会みたいなのをやりたいんだって。僕も酒田米菓さんの東北代表の方から教わってからハマってしまって楽しくて。こんなに外で出てきて昔から日本にあったっていうとゲートボールみたいな感覚ですけど、ゲートボールより多分気楽で、子供も大人も楽しくてカジュアルでね。これはもっと伸びしろある競技だなってすごい感じて。話したらなんか、4人一チームなんですが、6チーム集まった大会が今東北最大ですって言われて、明日にでもこれは塗り替えられるなと思って。東北最大の大会を。僕は人集めだけが得意分野なので、尾花沢で全日本スイカ割り選手権を企画したり、スリッパの街河北で、スリッパ飛ばし選手権を企画したりする、そういう何かローカル選手権みたいなのが好きなので。何かやっぱり参加者が主役になるイベントって大事だなって思ってて、大きいイベントってもう有名人が来たり、有名なお店が来てたり見て買うぐらいで終わるじゃないですか。参加者が一緒になって楽しめる山形には雪堀選手権とかありますけど、そういうのはもっとあってもいいのかな。
なんでそういう体験型が楽しくなったのかっていうと、真室川だったかな、ホワイトアスロンっていう大会があったんですね。僕がリポーターとしてなんか取材に参加させていただいて大会も参加したのがあって、圧雪されてない雪の上を走ったりビーチフラッグの雪上版のスノーフラッグみたいなのをやらせていただいたりそれが参加者なんか少ないんですよ。小さい規模なんだけど、みんなゲラゲラ笑ったり本気になるんですよ。これ大事だなと思って。
土地勘をちゃんと生かしてるし、山形でやっぱり何つっても自然がね、ウリだと思うんで、自然を生かした遊びっていう、モルックもこれは伸びしろを感じて、酒田米菓さんに、「もしよければ俺も勝手に東北で一番の大会を作って山形を熱くしようプロジェクトが東北最大の大会作っちゃうんすけどいいですか。酒田米菓さん一緒にやりませんか」っていう話を持ちかけて。もし一緒にやってくれるなら、それはもう山形を熱くしようプロジェクトカップじゃなくて酒田米菓カップとかでいいです。僕はうちの知名度が上がることじゃなくて、この中でいろんな人に楽しんでもらうってことがコンセプトなんで、一緒にやってくれませんかって言ったら、ぜひやってみたいみたいなことになって、10月に酒田米菓さんと近くの公園みたいなこと借りて、そういう大会兼マルシェ。そういうのができないかなっていうのを考えてます。それまだ日程までは決まってないですけどね。構想の段階です。