ユタカの部屋 vol.77 大友まさみ氏
そうだ写真館へ行こうvol.77 みなさんご覧いただけました?内容がありすぎてとても紙面では足りなかったですね。
インタビューさせていただいた全文を載せました!楽しんでくださいね。
ウジイ:大友さんの今の肩書きを教えてください。
名刺にはエグゼクティブプロデューサー・MCと書かれていますが、本業って何なんですか?
大友:そうですね、私は今も「フリーアナウンサー」として活動しています。でもそろそろいろんな場面に出られないような年齢にさしかかってきていて(笑)、後輩を育ててくれないかと言われるようになりました。「大友さんでもいいんだけどぉ~、もうちょっと若い人を」とか「フレッシュな人を…」とか、そういう失礼な(笑)電話がかかってくるようになりまして、そうして後輩の育成もしなければと、仕事仲間たちと会社という組織にしました。そういう育成の部分で「部長」というのもちょっと違うかな?と思って、エグゼクティブプロデューサーと、いかにも芸能プロダクション的な肩書きにしてみました。エンターテインメント事業部でMCを育てたり、もともと私がイベント会社出身ということもあって、以前から、パフォーマーとかタレントさんとかのお付き合いもあったので、そういった方々にも所属していただきながら運営しているという感じです。
ウジイ:アイドル活動もされていると聞きましたが
大友:子供の頃の夢がアナウンサーではなくアイドルだったもので。30代後半ごろになって『私は本当はアナウンサーじゃなくて、アイドルになりたかったの!』と、あちこちで叫んでいたら、「じゃ、夢を叶えてあげよう(笑)」と、40歳の誕生日プレゼントとして曲を書いていただいてバースデイパーティの時に念願のアイドルデビューをさせていただきました。そのデビュー曲を作ってくれたのが、某スーパーマーケットのCMソング等を数多く手掛けていらっしゃる、はら ただし さんという方です。今YBCラジオの「昭和小僧」という番組をドンキー佐藤さんと一緒にされている方なんですが、そのはらさんが、『遅刻してきたアイドル』というキャッチコピーをつけてくれて、そういうキャッチコピーがついているとやりやすいというか…。「だいぶ遅刻してきてますがアイドル活動をしているんです」って、またあちこちで言っていたら、また違う方が曲を提供してくださって、セカンドシングルを出すことになり・・・。セカンドシングルは“SmilingHappyDay”という曲なんですがiTunesとかAmazonとかでも販売する手はずも全部とっていただき、カラオケにも配信され、CDも発売しました。こんな風に、周りが面白がっていろんなことを仕掛けてくれて。自分が「ああやりたい!こうやりたい!!」と発信すると、自然と周りにいろんな人が集まってきて勝手に私を使って遊んでくれる、大人の遊びをしてくれる人が多くて、とてもありがたく感じています。
ウジイ:さっき小さい頃の夢はアイドルだったと聞きましたが、当時のアイドルは誰でしたか?
大友:ピンクレディーです。その後に小学校高学年でおニャン子クラブのブームがきて、中学校までおニャン子をひきずり、「高校生になったらおニャン子のメンバーになりたい!」と思っていたんですが、高校生になったときにはそのブームが去り、バンドブームになってしまってました。聖子ちゃんよりは斉藤由貴さんとか。ちょっと女優もやりつつアイドルというか歌を歌っている人に惹かれてましたね。斉藤由貴さんは、スケバン刑事から入ったんですけどね。歌もできて女優もできるところに憧れてましたね。いまではアイドルは低年齢化していますけど、当時は中学生ではまだちょっと早くて高校生くらいから・・・なんて思っていたら、ブームが去っちゃいましたね~。
ウジイ:オーディションを受けたりとかはあったんですか?
大友:
高校卒業の時に、タレント養成所のオーディションに受かったんですけど、その事務所の強みが声優だったんですよね。何回か仙台にレッスンに行ってたら「東京に来ないか」ってスカウトされて東京にも数回レッスンに行ったんですけど、「私声優じゃないんだよな~」って思って。まあ声もアニメ声的なところもあるので、一応、認められたっていうことはあるんでしょうけど・・・。でもやっぱり声優じゃないんだよな~アイドルなんだよな~っていうギャップがあって。今の時代は声優さんがアイドル活動もやってますけど、当時は声優イコール裏方っていう時代だったので。それで「ごめんなさい」っていうことでお断りして、山形でお仕事をしていました。
もともと山形のテレビデビューのきっかけが17歳の時だったんです。そのオーディションよりも前だったんですよ。YBCテレビの深夜、山形の若者を集めてテレビを遊び場にしちゃおうという番組『ミッドナイトミーティング』が月1回のペースで放送されていたんですが、その若者『夜ぴかり集団』にメンバーとして加わらせてもらいました。私のデビュー曲を作ってくれた、はらさんがディレクターで立ち上げた番組だったんですけど、その時はまだ私は高校生で、「私もメンバーになりたいです」ってはがきを書いて送ったら、高校生から応募があった!ってスゴくびっくりされたみたいです。番組のメンバーが、社会人や大学生が中心だったので、高校生だけどどうする?やりたいっていってるんだったら入れてあげたらいいんじゃない?本気でメンバーになりたいってハガキ送ってくる面白い高校生もいるもんだなっていうことで入らせてもらって、入団(?)後、飛島の撮影にドンキーさんと収録に行ったことは今でもよ~く覚えています。それがきっかけで、もうこの業界に30年いるって感じですね。
その間も夢諦めきれずで山形でMCをやりながらオーディションを受けたりとか、レッスンに参加したりだとか、あと仙台のアナウンス学校に通ったりしながら活動していたんです。でもこれ一本で生計を立てるのは難しいんだなって思って、二十歳の頃に県内のイベント会社に入社しました。当時リナワールドだとか上山競馬場だとか、大型量販店とかにイベントで入っている会社があってそこに入社しまして、そこに入ったら毎日が勉強になるなと思ったんです。毎日のようにイベントがあるし、MCの仕事があるし、イベントの企画、運営、営業も一から学びました。現場に行けばMCもするし、あと着ぐるみショーもやっていたので。一番楽しかったのは着ぐるみショーのMCなんですけどね。MCと歌のお姉さんだったので、子どもたちを前にアイドル風な活動もできたんですよ。すごく楽しかったですね~。そこに5年くらい勤めていたんですが、その間に結婚・出産。イベント会社は多忙も多忙なもので、子育てしながらは時間も体力も厳しくなってしまい、退職してフリーアナウンサーになりました。それが26歳の時です。
その当時、共働きじゃないと生活も厳しかったので、フリーランスになったばかりの頃は、深夜にファミレスでアルバイトをしながら、日中、営業活動をして。日中時間を空けておかないと急な仕事に対応できないんですよね。「このCM読んで」とか「この番組に出て」とか。そんなことをしているうちに半年もしないでYBCラジオの『パワー全開ゴーゴーキッズ』っていう番組から声がかかりました。山形県内の小学校を訪問する番組で、その当時フリーで、子ども番組向けに合いそうなアナウンサーがいなかったので、「ああそういえばあの子今フリーになったらしいよ」っていうことで声がかかって。そしてあれよあれよという間に人気番組になって、6年で235校の小学校を回らせていただきました。それをきっかけに、それだけ学校を回っているので、人気番組の子供たちの目線で話を聞けるアナウンサーってそんなにいないんじゃないかということで、先生だとか保護者の方だとか聞いている方の共感も得まして、そこから講演会というのにも呼ばれるようになって、講師活動にもつながっていったんです。学校の先生方から「どうやったら子供たちにインタビューできるか」とか「話を聞き出せるか」とか、そういう講演会にも呼ばれるようになってきましたね。やっていることが次から次につながっているというか、自分からこうしたいって言うことじゃないんですけど、周りからうまいことサポートしてもらいながら今につながっているって感じですね。
ウジイ:「のべらじ」ってありますが、山辺出身なんですか?
大友:いえ、子供が小学校に入るくらいの時に家を建てることになって、まあ土地の安いところを探していたというところと、その前のイベント会社時代からも山辺の仕事が多かったんですよ。町の人にもつながりがあって、「山辺住みやすいな~」って思っていまして、それで移り住んだのが山辺です。15年くらいになりますね。
ウジイ:お子さんのことを聞きたいんですが、面白いですよねあの子。
大友:ありがとうございます。朱音(あかね)っ名前で現在21歳です。数年前、娘が高校生だったときに、モニタリングという番組の人気コーナー「しゃべる自販機」にたまたま出演して注目浴びちゃって…(汗)。本人も前々から、モニタリングに出演したい!って、その番組に応募していたようで。出演後は「夢が叶ったアア!!」って大喜びしていました。撮影は30組近くだったらしいんですが、オンエアされたのは10組弱。その中でも3分以上放送していただけたんですよね~。イチ番組制作者としての目線で観ての感想なんですが(親目線抜きで)、これは使われるキャラ立ちした素人だな~って思いました。笑。再放送も何度かしていただいているので、いまだに「娘さん、モニタリングに出てましたよね!」って声をかけられます…。
ウジイ:今はお嬢さんは何をやられているんですか?
大友:関東方面でアウトレットのショップの店長をしています。娘が中学生の時に、高校には行かないで、吉本興業の新人タレントを育成する目的で作られた養成所、吉本総合芸能学院(通称NSC)に行きたい!って熱く語ってたんですよ。渡辺直美さんの大ファンなもので。本人、顔も似ているんですが…。でも、大阪に行きたいって言われて、親戚でもいればまだよかったんですけど中卒で、いきなり大阪っていうのは親としては心配でね。高校の間に相方でも見つけて、卒業するときにそれでも行きたいんだったらチャレンジしたらいいんじゃないか、って話をしたんですけど。そしたら高校生のうちに意外と普通の女子になりまして。恥じらいも覚えて。親としたら、まあ、ほっとしたところが多いですかね。この業界にいて、芸人さんの大変さは少しだけでも知っていますからね。私の様にMCだったら定期的にお仕事があったりするので生活もなんとかなりますが、芸人やタレント業って、よっぽど根性がないとやっていけないというのもわかっていますし。それを乗り越えられるくらい、熱い想いをガンガン語ってくれれば納得もしたんですが、意外とそれほどでもなかったんで。(笑)でも、その社交的な部分が今のショップ店員に活かされていて、最年少で店長を任せられたり、固定のお客さんがついたり、たくさんの友達にも恵まれて。あ!つい先日、結婚もしました。このコロナで行き来ができないですから、何かあったときに、家族の存在があると安心感が違いますよね。
ウジイ:SNSでの発信って意識的にやってるのか、好きだからやってるのかとか、そのメリットについても教えてもらえますか?
大友:多分この仕事を続けているっていうのは、何かを人に伝えたいっていう欲求が人一倍あるんだと思います。だからSNS以外にも、いろいろと番組もやってるんだと思うんですよ。
学生時代から放送部だったり、広報委員会の役回りを喜んでやってたんです。振り返れば、ちっちゃい頃からですね~。家にいるより外で活動していることが好きだし、多いので、その時に感激したことを抑えられないっていうか、人に伝えたいっていう欲求がすごく強くて。それが目立ちたがり屋って言う一面もあるのかもしれないんですけど、ただ単にすごく素敵な人を見つけたとか素敵なお店を見つけたとか、商品を見つけたというだけでも、とにかく人に伝えたくなっちゃうんです。それが今、SNSっていうツールがあって発信している感じです。学生の頃は、広報委員だったので、新聞で発信という形でした。一人で取材して新聞を作って毎月発行。クラスメイトにアンケートをとったり、こうやったら楽しいんじゃないか?とか、読んでくれるんじゃないか?とか、いろいろ研究しますよね。そんな風に作っていたら、中学時代は3年連続学年金賞を受賞させてもらいました。ますます発信することが楽しくなってきて、それが放送活動にもつながっていきましたね。だから、ツールは何でもいいんですよ。漫画で発信したこともありましたし。昨日、すごく面白いことがあった!ということを授業中に4コマ漫画にして書いて、授業中、隣に回していくみたいなことがあって、みんなが読んで「面白かった」ときは、背中が震えているのを自分の席から見るのが面白かったです。で、いつのまにかその漫画が先生のところまでまわってしまって、怒られるかと思いきや「おまえは勉強してないけど漫画は面白かったぞ」って意外な感想がかえってきたり。だから、発信したいと思ったことはいろんな形で出来るんだな~って、学生時代に学ばせてもらった感じですね。
今はツールがたくさんあるので、好きで気分が乗ったときに発信しています。発信自体が好きだし、マイペースなのでストレスじゃないですね。その時々、気になったものをあげてるって感じですかね。
ウジイ:昔に戻って「大友新聞」みたいなものはどうですか?
大友:それで多くの人に伝えられるんだったらやりたいなって思っていることの一つなんですけど、ただそれよりも今はSNSの情報発信の方が早いしリアルタイムに人に届けられるので。あと情報っていうところからも新聞は残すものなので、残すほどのネタだったらそっちなんでしょうけどね。なんとなく日常のことなのでSNSが気軽かなって思いますね。前にゴーゴーキッズっていう番組をやってたときは、取材した後にお礼の気持ちを込めて、手書きで新聞を作ってそのときの写真とか張って記事を書いて、私の思いとかを書いて郵送で送ってましたよ。楽しかったよっていうお礼も書いて。そういう風に感じたことを伝えたいっていう気持ちがあって行動してるんだと思います。
ウジイ:動画について、どんな動画をあげてますか
大友:いろいろ楽しいかなって思うことをいつもあげるんですけど、この間、思った以上に反応があったのが、『逆上がりチャレンジ』。自粛期間中にいろんなチャレンジがあったじゃないですか。近所の公園の前を通ったときに鉄棒があって、「私って逆上がりできたんだっけ?」って思って、勝手に「逆上がりチャレンジ」と名前を付けてアップしてみたんです。子どもの頃余裕で出来ていたからできるつもりでやってみたら、、、できなかったんです。それをちょこっとアップしたら、皆さんが食いついてきてくれて。(笑)1~2分くらいの動画だと、みんな何やってるのかなと思って見てくれるんですよ。それを観てくださった人たちが、逆上がりのやり方とかいろいろ教えてくれたので、これだけコメントが多いと次の日もやらないわけにはいかなくなって。次の日にまたチャレンジしたら、神がかり的に、ものの見事に靴が飛んでいったんですよ、ぴゅーって。みんなに「持ってるね」とか「大爆笑だったよ」とか「明るい話題をありがとう」とかコメントがついて。またやらなきゃならなくなってしまい、、、、。やっと3日目にして逆上がりはうまくいったんです。でもみんなが反応してくれたりするのは実験的にやってみて「ああこんな風にするとリアクションあるのね」とか研究もしたりしてね。それがみんなが面白いって食いついてくれて、動画の再生数も伸びたんですよ。そしたら4日目にじゅっきーから連絡が来て「ぼくもやりたいから公園に集合しないか」ってお誘いがあって。三日で終わったつもりだったんだけど4日目もやることになって、4日目はじゅっきーがチャレンジしました。それで完結したと思ったら、今度は運動が得意な人たちが「大友さんがやってた逆上がりチャレンジをやってみた」的な動画をアップしていたりして広がっていったりとか。ああこうやって単純でみんながわかりやすいものだったり誰も傷つけることもなく面白いものって勝手に広がるんだなって今回実感しましたね。のび太君じゃないですけど、日本人ってちょっとドジでお茶目なものに惹かれるというか、応援したくなると言うか、私のキャラクターがみんなそんな風に思ってもらっているのか、そういうクスッと笑えるようなものをあげたりすると爆発的に動いたりというのを感じますね。でもそういうのを意図的にやってるわけではないんだけど、なんとなくそういう風に動いていっちゃう。天性なんですかね。逆上がり動画も一人で撮ってるんですよ。みんなドキドキして見てくれたんですけど、「人が来そうなので…来る前にチャレンジ」っていって。で「誰か来た!」って言って動画を止めに行ったりとか。そんな風に撮影しています。
チームで撮影することもありますよ。30分の料理動画なんですけど、私が料理が下手すぎて、『料理暴走家』っていう肩書きも持ってまして(笑)。先ほどから何度か登場してます、はら ただしさんがまた名付けてくれたんですけど。料理暴走家って、どれだけ暴走するの??という声があり動画で見てみたいって言う話になって、ようやく去年その動画をやることになりました。できないのをただ流すのはちょっと見るに堪えないだろうというのがあって、これはちゃんと編集した方が面白いっていうことでお願いして、あと、ちゃんとツッコミもいないと面白くないのかなってことで、ツッコミ担当の人が一人。解説者というか「先生、これは何になるんでしょう」「次は何をやるんですか」とかお料理番組風になってます。生で配信しながら、生で見られなかった人は編集後の動画を見てくださいっていう形でテロップもつけてくれて。平日の日中に告知もなしに突然始めるので、とりあえずタイミングよく見られる人は見てもらってっていう感じですかね。生放送中だとコメントもくれるので、やりとりも面白いですね。今度は告知もしっかりしてやってみようとは思うんですけど。今、本業のTVやラジオ番組を数本抱えているので、なかなか手が回らないのが現状ですけどね。
ウジイ:光り物好きですよね
大友:何ですかね、40代になるとキラキラしたものがほしくなるって聞いてはいたんですけど本当にそうなんだと実感してます。やっぱりそうなりますよね。ここ最近この猫のシャツ買って今日二回目なんですけど、先週これ着たときに自撮りしてネットにあげたんです。これは猫ですけど、大阪のおばちゃんって、ここから虎柄になったりヒョウ柄に発展したり、髪の毛ピンクになったりしてくるのかなっていう風にFBにアップしたら、「いいね」が400超えてます(笑)。みんなどうでもいい話に反応してくれるっていうか。時事ネタとか書いてもあまり反応ないんですけど、くだらないのあげると反応してくれますね。そんな風に皆さんが喜んでくれるから、これから、ヒョウ柄とか虎柄とか来ちゃうかもしれませんね。そして何よりもピンクが大好きです。
ウジイ:今後の展望とか夢とかあったら教えてください。
大友:一番最初に語ったように、今後若手が育っていくのが私の夢というか、やらなければならないことなのかなって思っています。ほんとにいないんですよ、若手MCが。私で17歳でデビューというかこの世界に入りましたけど、県民性なのかもしれませんが、前面に、表に出てくる子がいない。目立つことを避けているというか、、、。面白いことやりたい!もっと自分を表現したい!って子たちをすくい上げて山形の芸能を活発化させたい、発掘したいなっていうところはありますね。東京に行かなきゃ出来ないこともあるのかもしれないですけど、山形でも山形なりの楽しさとか、山形からの発信っていうこともできると思うんで。地元からそういう人たちが出てくれたらいいなっていう、それをお手伝いできればと思ってます。今YouTuberとかで山形からの発信をしている人もたくさんいますからね。何をしたらいいかわからないっていう子達にちょっとお手伝いができたりとか。YoutubeとかSNSって結構自由度があって、何でもありみたいになってるところがありますけど、テレビラジオってある程度一線のラインがあって、それなりの技術を学んだ人たちが出ている媒体でもありますので、そこに出演出来る子たちもしっかり育てたいです。「現場で使えるMCを育てる!」っていうのが私たちのキャッチコピーなので。夢物語ではなく、現実的に、既に動き出していて、徐々にメンバーがレッスンを積んで現場に出ています。今度は、そのメンバーたちが先輩になって後輩たちを育てていけたらいいなっていうのはありますね。
ウジイ:それではラストに何かメッセージをお願いします。
大友:株式会社カピリーナ エンターテインメント事業部 スパークルーでは、随時メンバーというか「面白い事やってみたい!」という気持ちの人を募集しています。一応面接はしますけどね。キッズコースとかも作っていきたいので、演技とかお話が好きな人とかちょっとそういう道に進みたいっていう人たちのサポートになるような子たちが何人か集まればレッスンもしようかなって思ってるので。現在は、大学生くらいからはしっかりととレッスンをしてます。1回三千円です。スパークルーのMC募集ということでスパークルーのHPでもお知らせしていますのでぜひご覧ください!レッスンを積んだ後でキチンと現場に出られるような体制をとってるので、本気でやりたいっていう人はぜひお越しくださ~い!